Sweet Rain

日々のあれこれ、たまに詩

「連帯を求めて、孤立を恐れず」は今。お盆参りで考えたこと

今日はお盆参りにお寺さんが来る日。

一応、仏壇はお盆使用。

父親が亡くなってから、15年くらいかなあ。母親が老人ホームに入ってから、弟と私たち夫婦で、お坊さんを迎えている。

弟が11時すぎにきて、今日の昼ご飯を鮨屋の出前で済ませ、お坊さんを待った。

1時半前にお坊さんが来て、お経をあげてもらった。今年はマスク無し。話を聞くと、通常はもうマスクはしてないそう。5月以降はほとんどマスク無しで、問題も起こっていないとのこと。お寺関係も、アフターコロナになっているということだ。

ところで、弟なのだが、3月に蕁麻疹を発症し、8キロくらいやせたとのこと。60代後半で、一人暮らしを謳歌していたのだが、このコロナ禍でとても孤立していたようだ。こんな老人はけっこう多いのじゃないのだろうか。

70年代でまだ20歳そこそこの私たちは、「連帯を求めて、孤立を恐れず」などといきがっていたけれども、いまや孤立だけがとても身近なものになってしまっていて、連帯という言葉は聞くこともない死語になっているようだ。主体的に動くことがなければ、確かに連帯する相手は見つからないよね。私たちはタコつぼのような孤立した場所に放置されているということなのだろう。

しかし、近頃ニュースなどで報じられる事件は、ほとんど分断された個人がおこしているようだ。闇バイトしかり。家族内の殺人しかり。様々なことが社会に開かれていれば、また違った展開がありそうな気がするのだ。

「連帯」という言葉は、ちょっと固くてつかえそうもないが、本当に孤立して苦悩している人たちは、ゆるく手を取り合って助け合うということは必要なことだと思うのだ。

だって、孤立しているのは老人だけじゃないからね。