Sweet Rain

日々のあれこれ、たまに詩

菜園だより'22 ⑧ 今日の収穫-大根と絹さや

5月初めに種をまいた大根が、15センチくらい地上に青首を出したので、ちょっと早いかなとは思ったが、思い切って土から抜いてみた。

もう少し太らせたほうがよさそうだけど、大根おろしにして、食べれないことはないだろう。妻に聞くと、スーパーでは大根はとても高いらしいし、すこしでも家計の足しになればいいのだが。

絹さやは今日もそこそこの量がとれた。あと一週間もすれば、キュウリなども収穫できそうだ。

今年の菜園は、なかなか楽しめそうな雰囲気だ。このまま、良い天気が続きますように。

 

 

植物の生きる力

昨日、大雨が過ぎて、窓の外を見ると、ライラックが小さな花をつけていた。

よく見ると、今年の冬に大雪で割けた枝を、ダメもとでテープ(右側に光って見えます)を巻いて補修しておいた枝だった。とうに過ぎた花の季節にも、ほぼ枯れ枝状態だったので、秋には切るしかないなと思っていた部分だ。

しかし、植物はどんな状況でも生きようとするんだね。えらいもんだ。そして、けなげだね。

3月くらいから、いろいろあって、ちょっと鬱っぽかった私も見習わなければ。まあ、今はだいぶ戻っているけどね。

ところで、話題は変わるけど、少子高齢化対策で、「産めや、増やせや」と政治家の皆さんは大合唱しているが、若者たちは余計なお世話だと思っているんじゃないだろうか。私には、卵を産む鶏を狭いゲージに閉じ込めて、それ産め、それ産めと言っている風景が目に浮かんでくる。そんなことはやなこったと若者たちは思っているにちがいない。

社会の生きやすさが上がれば、自然と子供も増えると思うのだが。

バブルのころはよかった、と懐かしみながら、今の生きづらい社会を作った責任の一端は、私たちの世代にも当然あるのだろう。反省しなければ。

私たちは、いましばらく、没落してゆく日本を静かに見守っていくしかないのだろう。

 

菜園だより'22 ⑦ 絹さやの初収穫

昨日は成長途上の絹さやに実がつき始めたので、数は少ないけれど、硬くなる前に収穫することにした。それがこちら。

初収穫なので、さすがに量が少ない。まあ、料理の彩りくらいにはなるだろう。

キュウリとトマトも、あたたかくなって、ようやく成長し始めた。

このまま、順調に成育してくれれば良いのだが。あくまで、天候次第だけど。

そういえば、壊れたレンジフードだが、たまたまメーカー経由で頼んだ業者が大工さんで、数日前の雨降りの日に、現場が休みなので急遽、工事を入れてくれて、無事新しいものに変わりました。料金も想定よりもかなり安かったのでラッキー。最新型ではないので、商品の在庫もすぐにあったとのこと。最新型だと、既設のものより小さいので、パネル工事も必要で、料金が高くなるとのことでした。とりあえず、取替ができてよかった。

みなさまにはご心配かけました。

 

ドゥームズデイ -失なわれたもののために

 1

遠くでなにかがはじまった

 

きみたちの歌っている姿を見ると

どうして涙が出るのだろう

 

次々とわたしたちの仲間は死んでゆき

残されたのはおいぼれた犬だけになった

 

そして その犬もいなくなって

 

 2

なつかしい記憶も

わたしを救ってはくれない

 

遠くに見える星の光は

わたしのなにを照らしているのだろう

 

 3

ドゥームズデイ(審判の日)

これからなにが起こるというのか

 

 4

わかりきった結末に

かるくノンをつきつける

望んでいるのは

はげしい火柱のようなものなのだ

 

 5

流れ星のむこうに

閉ざされた未来は築かれる

絶望にまみれたわたしは

失なわれたきみを捜して

トントントンとリズムを踏み

新しい世界へと歩みはじめるのだ

シャクヤクが咲いた

昨年は植えたばかりで一輪しか花をつけなかったシャクヤクが、数日前に開花した。

今日は2輪咲いているが、まだつぼみがたくさんあるので、しばらくは楽しめそうだ。

畑に目を移してみると、ようやく絹さやが花をつけはじめた。

株自体はまだ半分も成長していないが、一週間もしたら初収穫ができそうだ。

さて、我が家は築25年を過ぎて、あちこちに傷みが目立ってきた。経年劣化だから、しょうがないのだが、3月から水回りの修理を2カ所。そして、ついに台所のレンジフードが動かなくなった。取替工事を発注して、とりあえず窓をあけて調理している状態。あたたかい時期でよかった。

コロナ下で商品の調達に時間がかかるかもしれない、といわれて、ニュースで知っていたことが、自分の身に降りかかるとは。早く、工事ができるといいのだが。レンジフードで打ち止めにしてもらいたいものだが、どうなることやら。

退職して、今まで、遊んでばかりいたことをすこしだけ後悔したけど、今更しょうがないよね。楽しかったし。

でも、お金はある程度、残しておかなきゃという現実的なお話でした。年を取ったみなさまも気をつけてくださいね。

 

北海道神宮からの贈り物

一昨日(14日)から、北海道神宮祭が行われている。新型コロナのせいで、3年ぶりの開催だ。例年の半分以下だけれど、露店も出ているようだ。

私の妻が参加している人形浄瑠璃のグループも、例年呼ばれていて、昨日、三番叟と鷺娘を奉納した。

夜遅く、帰ってきた妻が、神宮からいただいた品々がこちら。

右側にあるのが、北海道神宮の森でとれた梅で作られた梅酒。

入っていた箱もなかなかしぶい。

妻は酒を飲まないので、結局、私が飲むことになる。ありがたいことだ。

ここ数年、とても暗い日々を送っていたので、これを機会に普通の日常が戻ればいいのだが。

このお酒は神様から与えられたものなので、大切に少しずつ味わおうと思っている。

伊集院静「タダキ君、勉強してる?」を読んで、昔を思い出す

30年以上前の話だが、伊集院静の初期のエッセイを読んで、生きる指針にしている時期があった。(普通の勤め人だったので、形だけの話だが)

その頃は、ゴールデンウィークになると、小樽からフェリーに乗って、新潟競馬場まで競馬をしに行っていた。3年くらい続けたかなあ。もちろん、おいしい酒と魚も目的だったけれど。

その後、何年かかけて、全国のJRAの競馬場を訪ね終えた。小倉ゃ福島などの地方の競馬場は、その頃かかえていた鬱屈した気持ちをなんとなく和らげてくれた気がする。現地の居酒屋で酒を飲みながら、自分もまだ存在していいんだというような、開放感が確かにあった。

こんなことを思い出したのも、この本の「色川武大=いねむり先生」の章を読んだからだ。

近頃も、出版されるエッセー集は読んでいたのだが、若者向けに書かれたせいもあって、説教臭さが気になっていた。ちょっとちがうかなあという感じ。

ただ、今回のこの本はお世話になった人のことを書くという設定のせいか、久しぶりにストレートに心に届いてきた。伊集院静は変わっていなかったと。

特に心に響いてきたのは、戦争経験者の小笹寿しの大将の話。

戦場で突撃するとき、大将はいつも先陣をきったらしい。大将は、こう言う。「後から何となく行ったヤツに限って、狙い撃ちされて死ぬんだよ」

その後、伊集院はこのように書く。

「先陣を切って一所懸命やるヤツには見込みがあるけれども、人の顔色を見て、後についていく人間はものにならない」と。

70を過ぎても、伊集院静は健在だった。

そして、私もまた昔のように、旅打ちに出たくなった。

(少々、体力に自信がなくなってるけどね)