Sweet Rain

日々のあれこれ、たまに詩

竹倉史人「土偶を読む」の感想をすこし

久しぶりに知的なわくわく感を覚える本に出会えた。

土偶といえば、子供の時に学校で教わった「女性=産む性」の象徴的な像で、祭祀に使われたというイメージが、固定観念のように私の中に作られていた。3年前に東京で「縄文展」を見た時も、土偶をほぼ妊娠した女性をかたどった祭祀用の像として、見ていたように思う。

しかし、この本で、この見方の通俗性が見事に否定されて、新鮮な知的興奮を感じた。たしかに、現代的な宗教的パースペクティブ=思い込みで、古代のものを見てはいけない。竹内史人はそう教えてくれる。

丹念に縄文人の生活を想定し、その主食がなにかを考えてゆくと、その当時の土偶の役割がみえてくる。詳しくは本書を読んでもらうとして、彼のアナロジーの力は半端ではない。

そして、9種類の土偶の原型が、それぞれ植物の実や、稲やヒエ、貝などに特定される。この思考の過程が、とてもスリリングで楽しい。人間にとって、なにも考えずに持っていた規範をくつがえされることは、とても気持ちの良いものだ。土偶は当時の大切な食べ物の精霊として祀られていたものなのだ。

ところで、ちょっと心配なのは今の硬直した日本のアカデミズムのなかで、この画期的な発想が受け入れられるかどうかである。できれば、無視とかではなく、学会サイドの人物から、ちゃんとした批評があればいいのだが。(もう、出ているかもしれないが、この分野の素人なので、状況が不明だ。すいません。)

どちらにしても、知的好奇心を満たしてくれる一冊である。もう一度、土偶をじっくりと見たくなった。