30年以上前の話だが、伊集院静の初期のエッセイを読んで、生きる指針にしている時期があった。(普通の勤め人だったので、形だけの話だが)
その頃は、ゴールデンウィークになると、小樽からフェリーに乗って、新潟競馬場まで競馬をしに行っていた。3年くらい続けたかなあ。もちろん、おいしい酒と魚も目的だったけれど。
その後、何年かかけて、全国のJRAの競馬場を訪ね終えた。小倉ゃ福島などの地方の競馬場は、その頃かかえていた鬱屈した気持ちをなんとなく和らげてくれた気がする。現地の居酒屋で酒を飲みながら、自分もまだ存在していいんだというような、開放感が確かにあった。
こんなことを思い出したのも、この本の「色川武大=いねむり先生」の章を読んだからだ。
近頃も、出版されるエッセー集は読んでいたのだが、若者向けに書かれたせいもあって、説教臭さが気になっていた。ちょっとちがうかなあという感じ。
ただ、今回のこの本はお世話になった人のことを書くという設定のせいか、久しぶりにストレートに心に届いてきた。伊集院静は変わっていなかったと。
特に心に響いてきたのは、戦争経験者の小笹寿しの大将の話。
戦場で突撃するとき、大将はいつも先陣をきったらしい。大将は、こう言う。「後から何となく行ったヤツに限って、狙い撃ちされて死ぬんだよ」
その後、伊集院はこのように書く。
「先陣を切って一所懸命やるヤツには見込みがあるけれども、人の顔色を見て、後についていく人間はものにならない」と。
70を過ぎても、伊集院静は健在だった。
そして、私もまた昔のように、旅打ちに出たくなった。
(少々、体力に自信がなくなってるけどね)