Sweet Rain

日々のあれこれ、たまに詩

ファーストペンギンが、実は押し出されて落ちたどじなペンギンだったことについて

一月ほど前から、暇なときにブルック・バーカー「せつない動物図鑑」をちらちらと見て、ああそうなんだと楽しませてもらっている。

その中でも傑作だったのは、アデリーペンギンは崖の上でおしくらまんじゅうをして、どじな一羽を突き落とし、その一羽が害獣に襲われないかを確かめてから、みんなが海に飛び込むという話。

人間界では、ファーストペンギンなどと称して、勇気ある行動の象徴として、以前、小池東京都知事もなにかのおりにふれていたが、実態はこんなふうに集団を守る現金な生態のようだ。

人間はいつもこんなふうに、様々なことを自分に都合よく解釈してみせるのだろう。まあ、今のコロナ禍で、政治家の発言を聞けばよくわかるけどね。

ところで、近頃、テレビで耳にする音楽を聴いていて、世の中はけっこう切羽詰まっているなあと感じるのは私だけだろうか。

たとえば、Ado「うっせぇわ」とかAlexandrosのアップテンポの曲を聴いていると、ちょっとせわしなく、いそぎすぎちゃいないかと心配になってくる。私みたいな年寄りがどうのこうのいうことではないのだが、曲の先に幸福なエクスタシーがないように思えるのだ。もっと、余裕をもって、未来を歌ってもいいのではないのか。まあ、年寄りのたわごとですが・・・。

そういえば、「せつない動物図鑑」にこんな話もあった。

 【サイは鳴きます。なかでも、迷子になったサイがなかまを呼ぶときの声は、ものすごく悲しそうなのだそうです。】

人間関係が極限まで希薄になると、とてつもない不幸が訪れそうな気がするのは私だけだろうか。どこかで触れ合っていることがとても大切に思えるのだが。